3月中旬からオランダがコロナによりロックダウンとなり、道場も一時閉鎖せざるをえませんでした。いろいろな制限付 きですが、おかげさまで7月から再開出来ることになりました。
現在9月からさきの企画をしているところですが、外国人の受け入れに関してオランダ政府は、出発国のコロナ伝染状況に応じて、空港到着から自粛を要請するとかなどの処置、対応を模索している状態で、変化しています。自粛要請が出た場合は道場に来ることはできませんので、しばらくは様子を見るしかないと思います。
道場も施設をコロナの状況に応じて改築しなければならない部分も出てくるかもしれません。限られた状況、しかも少人数で秋からのセミナーを企画しています。オランダ在住者を中心に。英語が読める方は、Englishをクリックしてくだされば、もう少し早く様子がわかるかもしれません。
沖道ヨガ英国では、森朝子さんが ズームでレッスンを英語用と日本語用でしており、ブログでは、沖先生の講義を日本語と英語の両方で少しずつ紹介しております。特に沖先生の講義は大変貴重ですので ぜひ読まれる事をお勧めします。
わたし個人が昨年の10月下旬から今年1月上旬まで、日本、オーストラリア、バリ、トリノ、ルーマニアと合宿の合間に飛び回った私的旅行記を下に掲載しますので、興味があったら読んでください。ツアーでは体験できないその地の生活の様子や、沖ヨガ活動のことなどが載っています。
mail dojo: okidoholland@hotmail.com
site okido UK: www.okidoyoga.org.uk
玉木瑞枝の個人的近況報告(2019年10月ー2020年1月)
2020年4月1日記
日本にいくと沖ヨガオランダ道場長の玉木先生と紹介され 生徒さんは何人いるのですかと聞かれます。返事には困りますね。道場に来る受講生は所有物ではないし、来たいとき来て 合宿が終わったら帰りまた来たければ来る。10年後に帰ってくる人もいます。スタッフには講師とか先生という立場もなく、指導だけでなく料理も出来なくてはならないし掃除もみんなでします。フルタイムのスタッフはいなくて ヨガの指導はプロフェッショナルであっても、基本的には ボランティア精神です。みずえさんと呼んで下さいと言ってます。近況をしばらく書かなかったので ここ3-4ヶ月の個人的体験を書きます。
世界中コロナで待機、外出自粛、禁止の時に、旅行記など書くのは不謹慎と思い延ばしてきましたが、外国に行けない時だからこそ小さい情報でも興味あるかなと思って。
2019年10月から2020年1月まで、33年の道場責任者としての心身の疲れを洗い落そうと、あちこち誘われるままに旅行しました。
10月中旬 日本到着後すぐ時差も無視して久し振りに天川神社にお参りし、和歌山県在住医師西本真司先生主催の弥山登拝に参加。日本は福島原発事故依頼7年ぶり(2012年に5日間だけ帰国)。50代の終わりに初めて登った時、頂上での早朝の御来光と富士山の美しさに魅せられ、一年に一度の訓練なし準備無しの山登りに病みつきになり、ヨガのおかげと5000メートルのヒマラヤ(ラダック)を最高に、タジキスタン、ニュージーランド、ブルガリアなど 2000メートルから3500メートルの高さの山々、アイスランドでの氷河。今は不可能なマリのドゴン族の村々の砂漠歩きと、なんとかグループについて行くことができたことを誇りに思っていました。しかし3年のブランクの後の弥山登拝は、想像以上に困難で雨の中を若宮司さん親子に支えられながらやっと頂上につきました。翌朝、下山の時も膝ががくがくするとはこういう事かと初めて体験。神社についた時、宮司さんの笛と太鼓に迎えられ無事に下山できたことを神様に御礼。宮司さんの笛と太鼓は、わたしが今まで聞いた(少ないけど)劇場でのどんな演奏よりも素晴らしいものでした。その後参加者のみなさんが、練習してきた歌などを奉納。心を打つものがありました。治らないとされている病気を持っている方々もおられ、総合治療をされている西本先生の周りには、よいことを学びあう人たちのグループができているようでした。沖先生の言われていた治す治し方、治る治し方 治さない治し方の実例でした。沖先生亡き今、天川は私にとって心のふるさとです。ラーレン道場の重みで押しつぶされそうだった私は、大宮司さんの励ましを胸に天川を後にしました。
2−3日京都の知り合いのうちで休ませていただき、祖父母、両親の生死を無視し任せ切りにしていたので、一度は会っておかなくてはと、実家のあった岡山で弟と妹と合流。自転車で通った高校など懐かしかったです。
それからいよいよオーストラリア。これは、沖先生の映画「蘇生」の英訳を完成させるためです。Discovery のディレクターをしていたSさんは、英国滞在中、沖道英国とラーレンで学んでいましたが、今はオーストラリア帰国在住で、これをボランティアしてくれると言うのです。そして、2015年の合宿のあと1日しか滞在できかったMさんの御宅で2-3日。Mさんからは、道場のために魂のこもった彫刻を寄付された上に、1人観客のために太鼓を打ってくださいました。Mさんは、沖先生に会ったことはないけど、沖先生の教えの価値を重要視され、テープほどきや翻訳の手伝いを申し出て下さっています。
オーストラリアには、三島道場、ラーレン道場の出身者は結構いて、SさんやPさんにラーレンでやるような合宿を金澤さんとやってほしいと頼まれていたけれど、3年前に身体の調子を崩した後、そんなことになっては、そして金澤さんのお母さんの年齢などを考え、道場の無いオーストラリアでは、会場費は無駄にできず、合宿は諦めてもらいました。その代わり1日ワークショップは出来るかなと思い、2カ所でしました。三島で1984年に結婚式をしたJさん。ラーレンに2年滞在したPさん。ともにヨガを指導してます(それだけが本業ではない)が、自宅で心を込めたクラスをしていることを感じ、沖先生の遺言である小さくても真面目なグループを作れというのをなんとかして遂げようとしてるのが感じられ、ホッとしたオーストラリア訪問でありました。
次の訪問地は、すでに20回も行っているJさんの誘いで初めてのバリへ。葬式や結婚式を見たいという私の希望をJさんの常連のガイドさんに伝えて貰い、あとはJさん任せ。バリでは観光バスというのが殆どなく、西洋人や日本人にとっては個人ガイドは安いので、ガイドさんが自分の車であちこち連れて行ってくれます。モーターバイクの時もあります。空港からもタクシーが普通なので、すごい渋滞です。この汚い空気の中、現地の人はモーターバイクで仕事に行きます。ガイドさん達は子供の時は食べるものが足りなくて学校には、農作業をしてから行っていたということでした。国の方針による観光業推進で少し生活は豊かになったものの、失われたものも大きそうです。ガイドさんのお陰で 結婚式、埋葬場、アシュラム2、3箇所(いわゆるインドのヨガアシュラムと違い、集まって祈りの後 生活のことをシェアーする会というような感じで、病気や悩みを聞いてくれるグルや奥さんがいる所が多いです。グルの中には普通の仕事を持っている人もいます。大体オープンで、誰でも参加できます。こういうところでは、バリ人に会えます。彼らはとても親切です。町でも何処でも皆んな笑顔です。この笑顔は13年前のラダックと似ています。あちらはチベット仏教で(ほとんどの人がチベット仏教だと知らないで、仏教では他人には親切に、そして笑顔をと習ったのでと云う事)こちらはヒンズー教(インドのと少し違う感じ)ですが、神様の存在を大切にしているようで、一日何回も玄関や道ばたに花を供えます。ラダックではガイドさんチームが、料理をする前や寺に入る前に五体投地をしていた。
私が参加した結婚式は、まず新郎の家でお祈りの後会食。といってもバイキング形式。敷地の中に神の領域が有り、日本では家の中にある祭壇が庭にある感じで、けっこう立派です。そこでお祈りしてその場所から隣接している人間の敷地に移り、食べ物が出されます。近所の人や親類が男女集まって、朝からずっと楽しそうに御馳走を作っています。それから新婦の家に移動。そこでも同じ過程が繰り返されます。そして再び新郎新婦が住む新郎の家に帰ってきて、両家揃ってお祈りのあと食事をします。二つの家の家風の違いなどを通して社会の変化も見ました。
新婦の家では、人々が肥満気味で特に子供たちに肥満児が多く、飲んでいるものはコーラを始め甘い飲み物、選ぶ食べ物もお菓子類が多かったです。Jさんの話では ここ20年間に大人も子供も肥満が増えたそうです。
もうひとつの現象。西洋人、日本人もですが ヨガをやりにバリに行く人が多くあちこちでヨガ道場だらけです。教えているのもやっているのはバリ人ではありません。そしてビーガンか、凝った菜食のレストランが多く、値段はふつうの食堂の3−5倍します。バリ人はそんな所では食べていません。私はローカルな物を選ぶようにしましたが、一週間後に下痢。でもパパイヤですぐ治りました。下痢といえば他の国々でひどい体験をしているから、これは軽いものです。
おもな食事は米で、野菜にほんの少し肉が入っているスープ状の物をご飯にかけて食べる。時々スパイスがキツイこともあったけど 大体それが一番美味しかったです。米の棚田は観光の一つです。日本の方が美しいけど米は殆どカモやその他の鳥を活かしていて自然です。家を買ったり、借りて住んでいる欧米人も多いですが、バリ社会に溶け込んでいるとは思えません。みんなバリではリラックス出来るといいます。あのスマイルのせいかな?日常的争いが少ないみたい。
天川とバリで思ったことは、神の存在。20代後半で沖先生の積極的生き方に刺激され、先生は 自力と他力を混ぜ合わせるように言っておられたけど、努力すれば何でもできるというような人間力絶対に偏っていたことを再発見。原因が不透明なコロナで世界中が困惑している空の上で 太陽、月、夕日、朝日と大自然はかぎりなく私達に与えて下さるのに 人間はなんと愚かな事を繰り返しているのかと思う。もう物質的繁栄と便利さにお別れしなければ。(私がインドネシア人と書かないで、敢えてバリ人と書いたのはジャワに行った事もなく、何も知らないからです。)
バリからふたたび日本へ戻り4−5日滞在。東京へ行きたくない私に、友達四人が関西まで来てくれたので天川に行くたびに素通りしていた飛鳥へ。談山神社の紅葉は圧巻でした。モミジとサクラは海外にいる日本人にとっては、、、。
オランダに帰りヨガクラスと週末合宿。オーストラリア滞在中に友達からメールで、羽生ゆずる選手が出場するグランプリファイナルのチケットが手ごろな値段でとれるから行きたいかと聞かれ すぐ手配を頼みました ネットで入場券など買う能力もない私には、これはまたとないチャンス。羽生選手の事を知ったのは半年ほど前。You Tubeで見てその美しい演技と、インタビューでの態度にトリコになってしまいましたが、スケートのことはなにも知らずに行ったトリノ。適度な距離から見える雪を被ったアルプスの山々に囲まれたなにかホッとする街でした。イタリアはヨガの伝道などで色んな所へ行ったけどトリノは初めて。アムステルダムからは 1時間ちょっとなのに直行便は1日1便しかなく、半日しか余分の時間が取れず、 町の一番高い塔に登っただけでしたが、夕景の遠くに縦長い三角形にそびえ立っていたのはマッターホルン。若い頃ふもとのあたりをハイキング程度に、スイス側とイタリア側で登った時を思い出しました。
オランダに帰って年末の合宿の準備をしていたら、オーストラリアのRさんから連絡ありました。Rさんは1970年代シドニーで初めて沖先生の講演を聞きこれは本物だと思って三島道場に来ました。その後ヨガの指導はしてませんが、SCIという、国際ボランティアでずっと活動していて、最近までしていた副会長を退く会に出席するため欧州にいくからとのこと。この会は、第一次世界大戦後の混乱の中でうまれ、生活を共にしながら”言葉より行動”をモットーにボランティア活動をすることによって世界平和を作るという目的をもっており、世界中に支部があります。日本にも。Rさんはこのグループのオランダ支部とラーレン道場を結びつけてくれ、道場の改築など数回ワークキャンプをしました。色々な年齢の人の色々な国からの集まりで、他の所では湖の掃除とか難民キャンプでの炊き出しとか、活動は多岐にわたっています。ひょっとして沖先生は、この様な運動をしたかったのではないかと思いました。どこかで先生の国際ボランティアグループを作る意図みたいなのを読んだことがあります。そういう事をしたくて、それを広めるためにヨガと合体させたら ヨガのほうが広まってしまってと残念がられたのを聞いた事もあります。
Rさんには年末の合宿を手伝ってもらうことにしました。彼女は、これがヨーロッパ最後の旅となるから、どこか一緒に旅行しようと言われました。殆どの国は 行っているし寒いところは行きたくないし。試案の結果 ルーマニアに行くことにしました。ルーマニアはスリが多いから気をつけるように散々言われていましたが、大変安全で、民泊を出る時などカギをかけず出ていいような所もありました。みなさん顔がこわばっていて、フレンドリーでない感じ。駅の切符売り場でもなんて不親切だろうと思っていたけど、いったん口を開くととても親切で、道など聞くと丁寧に教えてくれます。顔の緊張は独裁政権の時代の名残りのようです。1989年にやっと沢山の流血をもって手にした自由。人々はこの革命を誇りに思い犠牲者たちに感謝しているようでした。1989年といえば、ラーレンの納屋で火事が起こり、改築に躍起になっていて世界でこんな事が起こっているなど思いもよりませんでした。
Rさんは旅行中でも人付き合いがよく、よく色々な人と知り合いになります。ウクライナから10キロぐらいのところにTurchiaという町があり、黒海に面した港町ではあるのですが 砂洲がどんどん伸びて葦の林が水の中にでき、その間に沢山の湖があり、夏には野鳥を見るツアーなどもあるのですが冬は何もありません。砂洲の先に港町ができて、片道二時間の定期船が1日3往復ほどしています。
Turchiaへの帰りの船で知り合った夫婦に招かれて その友人の家に60歳の誕生日のために集まって来た人達は、生まれはイタリアとかトルコで、イタリア語や英語やフランス語を交えて色々なことを自由に話しました。とても楽しい1日でした。漬物の話まで。サワークラウトというきゃべつの漬物のは皆さん知っているでしょうけど、どんな野菜でも作れるそうですが スーパーの野菜では上手く作れないと言っていた。1989年以前は、団地の端に秘密警察がいて行動をずっと見張られていた。スーパーの棚には 食品がない(実際は有ってもコントロールされていた)などが 難しかったとのこと。
逆に以前は、腰や膝が痛かったら 村のヒーラーに行って一捻りしてもらったらなおっていたけど、今は医者に行って薬や注射でもなおらず、それでもやっぱり繰り返し行っている。薬剤マフィアや医療マフィアが潜在している所為だと。実際ブカレスト近郊に建設中の大きな国際製薬会社をバスの窓からみました。
ジプシーが 差別されて社会のすみっこに住んでいるという事を聞いていましたが、そのことについては聞くのを忘れました。物乞いは9日間で、1人しか見ませんでしたが。
トレッキングをしていた時から、山や湖の美しさだけでなくその土地の歴史的文化や社会体制に興味を持っていました。毎日の生活をどうするか、道場をどう運営するかのヒントを得るために。東欧の国々では、どのようにソ連から解放できたかとか。アイスランドの独立の歴史とか。それぞれの国が政変後 国際大企業に押しつぶされつつあっても、少しでも努力をして人間性を守ろうとしているかいないかは、転換期のリーダーと市民のあり方が大きく作用するようです。私の限られた印象では、男性リーダーよりも親の威厳とは関係なくリーダーになった女性の方が 人間の命を大切にしているように思えます。
そして我々一人一人が事実を知ることが 大切だと思います。ドイツでは 小学生から学校でエネルギー問題を話し合うとか。日本人の友達と行ったハンガリーでは、10歳の子供からトランプについてどう思うかと聞かれ、日本ではそのような質問をする子供なんかいないと言ってました。大人だって色々な意見が世間的にタブーだから 言論統制されているのと同じ。何を食べたらいいかというような問題でも、洗脳されています。事実を知るよう心がけましょう。
私は 沖先生の通訳として、そして沖ヨガを広めるために色々な国へ行き、沢山の人と知り合いになりました。出会った一人一人、一つ一つの文化が宝ものとなりました。3ヶ月も休んだ後さあ心機巻き直し頑張ろうと思ったところコロナ騒ぎで外出自粛。道場の片隅で庭の整理や翻訳をしています。道場の活動はしばらく禁止。これからの道場に、大きく変わりうる世界の中でどういう意味をもたせたらいいか、模索中です。
来年は35周年です。(2021年5月22、23日頃の予定)それまでに何か答えがでればいいですが。日本国内で ラーレン道場への興味が高まって来ているのは嬉しいですが、日帰りのセミナーと違い、寝食を共にする合宿が中心なので コロナのような伝染性のものに対しては軽々しくは考えられません。
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新年 おめでとうございます 2016
恒例の年末合宿をおえても 新しい年の誓いがなかなか出てきません。昨年は 安保法案強行採決 原発再稼動 続く難民 とテロ といろんなことがありました。こういう状況のなかで 自分は何をしたらいいのか 道場にとってなにが大切なのか、模索のなかで 新しい年を迎えました。 もとはといえば 難民問題も テロも 戦争も 武器商人と大国のエゴイズムが 起こしたものであり 自分たちの便利さは その犠牲の上のに成り立っているから 無駄のない質素な生活を遣るしかないという 消極的かもしれない答えに行き着いてしまいます。最近 ものを捨てて すっきりしよう という生き方が流行しているようですが 捨てるまえに いらないものを手にいれない事でしょう。 捨てれば 環境を汚します。添加物のいっぱい入ったものを食べれば 尿や便になって 土地を汚すと同時に 死んだ後も焼けずに残る(この話はすでに 数年以上前から 現場の人たちにいわれています)ので 公害になります。(お金がなくて添加物いっぱいのものしか 食べられない人も多数おり せめて 払えるひとは 自然なものを少量食べるようにしましょう あまりひどいものは 非買運動もして〕
昨年の夏は ヨーロッパの東の端にあり 豊かな文化の歴史を写真で見ていて 共産圏から出た後の国の経過など知りたくて ブルガリアのトレッキングを選びました。首都のソフィアは 電気がきらきらしてないで うすぐらく 市内電車も古臭く 一見貧しそうですが 町のいたるところにも、 田舎の村の広場にも 遊園地があり 滑り台などの遊具は幾何学的でなく 楽しい動物の形をしていたり 絵がかいてありましうた。大きいホテルには子供の大きい遊び部屋がとってありました・そしてソフィアの街中でも 田舎でも 老人がゆったりと憩いでいました・イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の寺が混在して文化の豊かさをしめしていました。
沖先生と訪れたイスラエルもそうでした・人々は宗教の違いを超えて共存共栄してきたのに 大国と武器商人が外国からはいると おかしくなる 以前 アイスランドの自然の話を書きましたが 住んでいたことのある ヨガ教室のひとからききました。地熱のため 電気代が安いので アルミニュームの工場が林立し公害がひどいとか すべて外国の大会社だそうです。
こんな迷いの中で迎える 道場創立30年ですが 30年前よりは 行法の内容 経営方針において進化していると思います。初めて会った人同士でも 本音で話せる ことばができなくても 異なった文化慣習をもっていても 異なった歴史の誇りと痛みをもっていても、心で通じ合える雰囲気は 自然に出来ていると思います。これも平和への一歩かなと...
.いろんな国の人.とまじわって オランダのことは チューリップだけでなく 再生可能なエネルギーへの努力なども みていってください。皆様のお越しをおまちしています。 2016年 1月5日 玉木瑞枝
15日式典日の後 夜を徹して交流したいひとは 道場に宿泊可能です・
出版物
それから強化法の本の英訳に、第一章の理論のところは 日本語をつけてラーレン道場で出してます。日本語版は絶版です。40ユーロ
日本語のいらない場合の人は 35ユーロ
それから少し旧くなりましたが(2003年)私の ”オランダ沖ヨガ道場心がけ” も 日英対訳です 4.5ユーロ
もちろん "冥想ヨガ入門" の英訳も出してます。 29ユーロ
また 英国沖道ヨガでは、長い話し合いを繰り返した上で新しく誓いのことばが 哲学の勉強の材料として再英訳されました。日英対訳です。5.5ユーロ。これもラーレン道場で販売してます。
そして英語の読める方は、英国沖道ヨガのサイトを見てくだされば、イギリス ベルギー オランダなどの合宿の体験談などを通じて世界中の沖ヨガ経験者と哲学的理解を交換しあうことができます。
沖先生の16の誓いの言葉「Pledges of Oki Sensei, Presenting The Philosophy of OkidoYoga」Okido UK Newsletter リンク
www.okidoyoga.org.uk/news.php
英国okiどうでは 。。。。。。。。。。。
沖道ヨガを理解するために考えや思いを交換するための企画として、Okido Yoga UK のウェブサイトの中で、沖先生の講義の抜粋を日本語で投稿し始めました。リンクは www.okidoyoga.org.uk/blog/jp です。
本の送料(2冊以上の場合 組み合わせによって変わる)や送金方法に関しては、私の方に問い合わせください。また同じ物を10冊以上購入されると40%割引になります。
なお 2年前に募金をはじめた、冥想小屋(グループを離れて 座りたいときに)の建設は、少しずつ進んでいます。予算の関係上 六角堂はあきらめてシンプルにしました。
オーストラリア合宿で思ったことなど 2015
3年ぶりにブリスベンの飛行場に迎えに来ていたスコット(撮影の仕事で 世界中を飛びまわっている合間に、英国沖道とラーレンで勉強のあと帰国。原住民の村々の関係改善のために森の中で暮らすことも多く、まだ外国のドキュメンタリー映画も撮っている)と、パトリシア(三島とラーレンにそれぞれ2-3年滞在。今は、2児の母。夫と自然食のパン製造所を作り 若手を育てている)の話によると、ハリケーンが来て洪水になり、食料を合宿所に運べなかった。参加者が全員無事つけるかどうか心配ということでしたが、何とか無事はじめられました。こんなに遠くなのに3年ぶりにまた会えるとは、飛行機のおかげ。(日頃 電車でいけるところは、公害がより大きいと云われている飛行機を出来るだけ使わないように気をつけているわたしにも)昨日の友のようでした。
3年前との大きな違いは、あちこちの沖ヨガグループが参加したこと。前回は心無い日本人の指導者の影響もあって、自分のグループに内緒で参加した人もいましたが、今回は大変遠いのにブルーマウンテン、シドニー、メルボルン、ブリスベンなどのグループが交じり合いました。20代前半で故中澤さんの影響をうけて 人生が変わったという50代の人も多く、若くして逝った中澤さんの努力がしのばれました。パトリシアとスコットは3年前に一度 合宿をいっしょにしただけなのに、参加者のためにベストを尽くすと云う点で、絶妙のコンビで みんなから もう 何年いっしょに遣っているの?ときかれたりして。家族がヨーロッパにすんでいるひとも結構いて、来年のラーレンの30周年での再会を望んで別れました。
せっかく24時間以上かけて来たのだから、もうちょっと何かしたいと思って、ニュージーランドにいきました。すぐ近くかと思っていたら、飛行機でもう4時間(南島まではもっと)。沖先生の通訳で いろんな国に行っていたときは、先生が帰られた後しばらく残って現地の人たちと過ごしましたが、ラーレン道場が出来てからそんな余裕はありません。若いころちょっと行っただけで旅行記を書く人を軽蔑してましたが、今 自分がそういうことをしている。でも全然行けない人もいるから、個人的見方に偏っているかもしれないけど、何か情報になればと 時々書くことにしました。
ニュージーランドは 日本とおなじ火山国。電気は、水力と火山の地熱で足りている。聞くところによると、地熱から電気を作る技術は 日本からだという。登山は、爆発の恐れのあるところも多いですが、注意事項も避難方法も絵ではっきりしめしてありました。昨夏 トレッキングしたアイスランドも火山国、洪水も起りやすい。でも 土地の事情の分からない人に、場所によってはマイカーを禁止したりして 安全と環境保護には 気をつけているようでした。野菜が育たないアイスランドでは、地熱を利用し温室て野菜をそだててます。酪農が大切な産業ですが、国際大企業のを影響で農薬やホルモン剤を使うことを余儀なくされ、おまけに 国際ダンピングで酪農を 止めていった農家も多いそうです。数年前の金融危機を速やかに解決したことに誇りが感じられました。ニュージーランドと云えば マオリ族で知られてますが、見えないところでまだ差別はあるようですが、マオリ族は自分たちの文化に誇りを持ち これが雇用を生み出している。白人たちも、血を流す争いは少しはあったけれども おたがいに取り決め
(条約みたいなもの)をつくった。今は仲良くすごしていることを 誇りにしていました。これは スコットが3年まえに、観光ではいけない形で連れて行ってくれたオ-ストラリアの原住民の村でみたものと、まったく違いました。そこでは 女性たちは、自分たちの文化が廃れていくこと、差別の社会に育つ子供たちの将来のこと、悩みが絶えません。アイスランドもニュージーランドも水道の水がおいしかったです。
先日、久しぶりにアムステルダムのマクロビオティックの店にいきましたら、わかめも昆布も 日本産がアイスランド産にかわっていました。こういう小さいところで 原発の影響がひしひしとかんじられました。わかめを買ってみましたが 日本産のまろやかな感じはなく わかめと昆布の間みたいなものでした。海の幸と山の幸に恵まれた日本の大地、川、海を、農薬と原発で汚してしまった。これ以上 再稼動など問題外ですが 今自分にできることとなると、、、せめて コーヒーや紅茶の半カップも無駄にしなかった沖先生に見習い、質素な生活を心がけるしかありません。
2015年 6月1日 Mizue Tamaki
tel: + 31 573 401 932
tel: + 31 20 675 5336 (Tues/Wed)
email: okidoholland@hotmail.com